大人になってからおたふく風邪になった話 その③
8日目
病院で迎えた朝はとても早い。午前6時少し前に目が覚める。
部屋の外からは看護師さんのパタパタと小走りする足音が頻繁に聞こえてくる。
「そういえば、入院したんだな、俺」と思いながら、病室に洗面所もついているので、点滴スタンドを引っ張って洗面台に行き顔を洗う。
やはり玉が痛いので、ベッドから降りる作業がとてもつらい。歩くのもつらい。
顔を洗っていると看護師さんが来て、タオルとコップを持ってきてくれた。
夜の突然の入院だったので、何も持っていなかったので、貸してくれたのだ。
当時は初夏だったので、氷まで持ってきて、冷たい水を一気のみした。
水を一杯飲んで、ベッドの端に座る。
部屋からは出られないが、朝の儀式のとしておしっこをしようと思い、尿瓶をあてがうもあんまりでない。いつ看護師さんが病室に入ってくるかなどと考えてしまうため(意外とこういうプレッシャーに弱くて)ちょろっとしかおしっこが出なかった。
ベッドで寝ていると7時くらいに朝食を持ってきてくれた。パンとスープとサラダだった。パンは暖かくて、全体的においしかった(意外である。)。
バケツ便座でうんこはしたくなったから、きっと数日経てば大部屋に移動できると信じていたので、まぁ数日くらいうんこは我慢していけばどうにかなるだろうと踏んで、ごはんを一杯食べた。おしっこはするたびに看護師さんに持って行ってもらうことになる。
ご飯を食べたら、シャワーに入れない代わりに、体拭きの時間となる。体拭きようのお湯を持ってきてくれたのが夜担当の看護師から昼担当の看護師に変わった。若いたぶん22歳くらいの茶髪の可愛い看護師さんだったので、ちょっとエロイ展開を期待するするも、自分で体をふくことになる。
ちなみに、解熱剤を点滴経由で入れているので、熱はそこまで高くない。ただ、薬が切れると途端に40度近くなる。
それから妻が会社を午前半休してきてくれて、入院に必要なものを受け取る。ありがたや。やることがマジでないので、次来るときに本を持ってきてもらうようお願いした。
(西加奈子のサラバを買って読んでいなかったので、それをもってきてもらった。)
点滴で水分補給もされるし、普通にお昼ごはんも食べたりしたのに、まったくおしっこがでなかった。前述の通り精神的なプレッシャーで。昼下がりの3時くらいにかわいい看護師さんに、「おしっこ全然出ないですねぇ。あまりでなければ対策を検討しなければならない。」ということを言われ、おそらくカテーテルになりそうだったので、何度も集中しておしっこをしようとして、やっと夕方になって出た。2リットルもおしっこが出てマジビビった。すぐ看護師さんを呼んで持って行ってもらったけど、こんなに出たんですか!と驚いていた。俺も驚いたよ。
夕方主治医の先生が、来たんだけど、大学病院ゆえ、たぶん大学生っぽい女の先生も連れてきて、玉の腫れ具合をチェックされた。なにこれ、くそ恥ずかしい。玉のスケッチとかもされた。それから、先生が玉を冷やすようにという指示があり、それ以降、玉に氷をあてる続ける。
相変わらず玉は痛くて、あんまり歩けないし、熱は夜になると上がるので、かなりしんどくて、消灯の9時前には寝た。でも、やっぱり夜中に寒気がして目が覚めた。どう考えても熱があるが、とりあえず布団に潜り込んでうーうー唸りながら、耐えているうちに寝たようだ。
9日目
私が入院している部屋は、緊急外来用の個室である。なので、いろんな人がいるみたいで、隣の病室の方が亡くなりかけているようで、ご家族からの「おとーさん、目を開けて!」「息をしてーっ」みたいな声で目が覚めた。ここは病院なんだなぁなんて思いながら、生と死ですなぁとかのんきに思っていた。
さて、相変わらず、玉が痛い。熱もある。やることがないので、ひたすらネットサーフィンをしていた。昼飯を食った後、ついにやってきてしまった、その時が。
めちゃうんこがしたくなった。とりあえず、我慢してみたけど、少なくとも部屋の移動の話が出てこないし、もっても数時間である。意を決して、うんこをする。はじめはやっぱり出ない感じであったが、やってみると結構出た。2日ぶりくらいである。で、しかたなく、ナースコールで「あのぅ、排便しました…」って言って持っていってもらう。すげえ恥ずかしいので、看護師さんが来た時はとりあえず、顔を合わせないように携帯をいじっていた。うんこを流した看護師さんが戻ってきて、「今度からは拭いた時に使った紙は別に捨ててください。」と注意を受ける。そんな話聞いていなかったけど、うむ。ごめんなさい。もう二度とうんこしたくない。
この日は主治医の先生だけ来て、玉の腫れ具合チェック。とりあえず、どうにか大部屋に移動できないかお願いしておいた。どうやら、明日、初日の検査結果がでるため、それ次第で移動できるそうだ。
10日目
昼過ぎに待ちに待った検査結果の発表である。さすがに頬も腫れていないから、おたふくは問題ないだろうと思ったが、まさかのまだおたふくの菌が確認されたらしく、個室継続決定。ううう…
とりあえず、日中は玉を氷で冷やして、寝ている。夜の熱はだいぶ楽になってきたが、38度とかにはなる。サラバを読み始める。意外と面白い。けど長い。
11日目
この日も玉を氷で冷やしたところ、看護師さんから部屋の移動をされる。俺が入院している部屋は緊急外来用の部屋なので、泌尿器科の病室に移動とのこと。まぁどうせ、またトイレないんでしょ?はいはい。と思っていたところ、部屋の空き状況の関係で、一番高い部屋に移動が決まる。ベッド差額金25000円の部屋。しかも、部屋にトイレがあるし、接待用の机もあるし、テレビもカードなしで見られるという最高な環境となったのである。でも、部屋からは出られないし、点滴ついてるけど。
もちろん、私の意思で入った個室ではないので、別途差額金は発生しない。最高。
更に、この日から熱が出なくなくなる。でも、玉は痛いし、腫れている。
夕方の診察で、片玉の腫れはおさまってきていたことが判明。
そういえば、書いていないけど、入院して毎朝、看護師さんに玉のチェックを受けている。結構恥ずかしいけど、だんだん楽しくなってきて、若い看護師さんとかだと意気揚々に見せるようにしていた。あと、玉が腫れすぎて、皮が剥け始めた。こんなことってあるのかいな。
12日目
デラックスな個室に移動してからは、熱も出ず、トイレに自由に行けるため、自由を謳歌していた。
あとは、玉の痛みさえなくなればということで、氷で玉を冷やす以外は本を読んだりお昼寝したり最高の人生だった。サラバを読み終わる。なかなかの大作で満足した。
13日目
玉の痛みがだいぶ引いてきた。とりあえず、先生に退院したいっすっていう話をする。
血液検査の結果で判断しましょうとのこと。明後日には結果がでますとのこと。
14日目
何もやることがないので、ダラダラする。この日には点滴も外れる。
退院もいよいよか。ご飯食べる昼寝する読書する昼寝するご飯食べる寝るを繰り返す。堕落しているが、一生こういう生活したい。
15日目
検査結果、問題なしということで退院が決まる。ここで初めて、個室から出ることが許される。マジ幸せ。
お財布を病院に持ってくるのが怖かったので、家においていた。なので、財布を取りにタクシーで家に帰った。そこで足腰の衰えを感じる。自分の部屋に行くために階段を上るも、全然力が入らず、途中で足が上がらなくなってしまった。階段の途中で膝をついてしまった。1週間も入院して、部屋から出ずにベッドにいるとこうなってしまうのか…
寝たきりの老人なんてなおさら大変だろうなぁと思っていた。
ちなみに、1週間ほどの入院で、支払いは保険が利いてだいたい8万位であった。
これにてやっと私のおたふく病床記が終わる。
大人になってからおたふく風邪になった話 その②
2日目
朝起きたら、なんと昨日腫れていた頬がより腫れ、さらに腫れていなかった方のほほまで少し腫れだした。腫れ具合を、左頬が10中4くらいとする右頬は10中1くらいであった。つまり、両方のほほが腫れている状態にめでたくなってしまったのだ。念のため、家族に見てもらうもやっぱり腫れているとのことであった。熱を測るとまぁ37度チョイ。熱ねえけど、まぁ仕方なく、昨日行った大学病院へ向かう。
土曜日ということもあって、また、予約制度があることも知らず、行ってしまったので、同様に1時間くらい待った。
今回の先生は40代中盤の男性で、昨日のカルテを見て、私のほほを触診し、ひとこと。「これはおたふくですね。」と。
「ちなみに、お子さんはいますか?」
「娘が一人います。」
「あぁ、ならよかったー。おたふくの合併症で精巣炎になる人が多くて、場合によってはそれが不妊の原因になったりするんですよ。とりあえず、頬とココ(金玉を指して)冷やしておくようにしてください。ご存知かもしれませんが、おたふくの場合、その菌をやっつける薬はなくて、対処療法しかありません。痛み止めとして、ロキソニンをたくさん出しますので、使用用法の範囲内であれば、いくらでも使って差し支えありません。あと、学校保健安全法上の伝染病に指定されているので、発生してから5日間は会社休んだ方がいいと思います。診断書を出しましょうか?」
「(おお!無条件で会社休めるのか!ラッキー)じゃあ、お願いします。」
「患部を冷やして、症状が落ち着くまで、自宅でゆっくりしてください。」
その日の診察料は、500円だけと思いきや、診断書が3,000円もした。ギャー。
診断書は保険の適用外みたいなので、なんともな気分になり、帰宅。
帰宅後、妻に病状を伝え、精巣炎の可能性を伝えた。一応、妻は子供がたくさんほしいようなので、子供が出来なくなるリスクを伝えるとちょっとビビッていたが、まぁ最悪一人でもいいじゃないと自身を納得させているようであった。
それからは、自分の部屋にこもって、熱と頬の痛みとの戦いであった。
処方されたロキソニンを飲んでいる間は37度半ばくらいで、頬の痛みもだいぶ和らいでいるが、薬の効果が切れると熱は途端に39度台まで上がり、頬の痛みも最大級になってくる。
この時点でも食事はポカリとヨーグルトで、調子がいい時にプリンを食べるくらい。
この日の夜中、ロキソニンの効果が切れたみたいで、目が覚める。熱で寒気がして、頬が痛くて、布団に包まる。
熱を測るとやはり、39度台。ロキソニンを飲んでとりあえず寝ようとするも、寒気で眠れず1時間ほど痛みと熱に耐えながら、いつのまにか眠り朝を迎えていた。
3日目
この3日目から平日で、妻は仕事に行き、自宅にて一人で療養。
3日目には、後から腫れだした右頬がパンパンになった。両頬がパンパンに腫れている。
顔が1.4倍くらいになり、顎がなくなるようになり、マジでマツコデラックスみたいになっている。
病状については、比較的昼間は、熱は37度台で安定しているので、amazon videoで映画を見たりして時間をつぶしていた。
しかし、食事をするたび激痛は走るし、ロキソニンが切れる夜は案の定の高熱(39度台)がでる。その都度、ロキソニンを飲むことになる。
ただ、プリンでさえ食べると頬の痛みに襲われるため、食事はスープや牛乳といった飲める系中心となる。不思議と飲む系のものは頬が痛くならない。
しかも、ロキソニンの飲みすぎかわからないけど、慢性的に胃の不快感に襲われる。ずーと胃もたれしている感覚。つらい。
夜中も案の定薬が切れると目が覚める。高熱にうなされながら、もがきながら寝る。
4日目
昼間は3日目と同じで安定しているものの、4日目の夜は頬の痛みがマックスへ。大体夕方以降はすこぶる調子が悪くなってくる。
そのため、ロキソニンなしには生きられない体になる。ロキソニンを飲んで4時間くらいで効果が切れると、残りの2時間絶望的な痛みと熱が出てくる。
一応、ロキソニンは次の服用まで6時間ほど空けないといけないのである。
ここまでロキソニンに頼っていると、比較するのもあれだけど、覚せい剤の常用者の気持ちがすごくわかってくる。
5日目
朝、鏡を見ると、最初に腫れた左頬の腫れがやや引いて、熱や頬の痛みがほぼなくなってきた。
食事もちょっと噛む系のもの(やわらかめのおかゆやよく煮た野菜等)もいけるようになってきた。
明日は会社いけるかも!と思った矢先。確か、暇すぎて「ガールズパンツァー」を見ていた昼下がり、左の金玉が痛み出したのだ。
軽く握りつぶされる感じが続くので、その日は自分の治癒力を信じて金玉への影響は杞憂であることを祈りながら、すぐに布団に入って8時くらいに寝た。
しかし、この日も夜中1時くらいに目を覚ます。うおーーーー玉が痛い。割と本気目に握られているような痛さというか、玉の中に針を入れられて様な痛さというか。
これは命綱のロキソニンにすがろうと、水を取りにリビングに向かう。
が、金玉は太ももの付け根に存在していることはもちろんご存知だと思うが、歩くたびに玉に振動による刺激が行ってむっちゃ痛い。歩くたび激痛で止まる。
というか、結構歩けない。私の部屋からリビングまでは多分2メートルくらいだけど、リビングまで30秒以上かかった。
途中、激痛に加えて、貧血っぽくなり目の前がくらくらになり、吐きそうになる。
熱はないものの玉が痛くてしょうがない状態になった。その晩は、とりあえず、ロキソニンを飲んで玉を冷やしながら、どうにか寝ることができた。
6日目
精巣炎についてwebで調べてみると玉が肥大化するという話であったが、痛みはあるものの肥大化はしていない。
昨日の夜ほどではないけど、朝からずっと玉が潰されるような痛さがある。顔まわりの腫れはだいぶ良くなり、頬の痛みはなくなり、固形物も余裕でいける。
とりあえず、精巣炎になったことは会社には伝えず、今週いっぱい会社を休む旨を伝える。
こりゃ、おたふくの合併で、精巣炎になったことは確実だなぁ。やれやれ困ったなぁ。
ちなみに、この場合の精巣炎については薬もなく対処療法のみである。したがって、ひたすら冷やす作戦を採るほかない。
食事ができるようになったので、栄養を付けて元気になろう!と思っていたが、夕方にはまた熱が出始めた。
39度台後半。食欲もなくなる。玉が痛くて立ち上がることも困難。トイレ行くために歩くのもつらい。
この日も夜中に寒気がして目を覚ますと40度の熱。また熱が出始めたことと、それによる寒気におびえて、布団に包まって寝た。
この晩は、本当につらくてなぜおたふくになったのかを自問し続けたり、日ごろの行いを悔いたり、それから、迷惑かけっぱなしの家族に申し訳ない気持ちになった。
泣きはしないけど、泣きたい気分であった。
大人になってからおたふく風邪になった話 その①
私はアラサーですが、今年の6月に、
おたふく風邪なんて子供の頃に罹るやつで、
闘病生活の備忘録も兼ねて、状況を書き記していきたいと思います。
大人になってからおたふく風邪になった方のなにかの参考になればと思います。
おたふく風邪について(厚生労働省のHPより)
(1)おたふく風邪ってどんな病気ですか?
・おたふく風邪は流行性耳下腺炎とも呼ばれ、
・冬から初夏にかけて流行し、3~6歳に多くおこります。
(2)おたふく風邪にかかったらどうすればいいですか?
・特別な治療方法はありません。病状を少し楽にする方法(
(3)その他、注意することはありますか。
・3~10%に髄膜炎を合併することがあります。
・思春期以降の男性の25%に睾丸炎を合併し、女性では30%
・妊婦が感染した場合には自然流産することがあります。
0日目
仕事をしていると珍しく、頭痛がしていた。
その日は、仕事も溜まっており、夜には飲み会があったので、
夜は少し飲みすぎて、帰宅と共に寝る。
1日目
朝起きると、左ほほが少し痛いなぁという感じであった。
昨日酔っぱらってぶつけたのかなぁなんて思っていた。
とりあえず病院に行った方がよさそうなので、
内科の先生より、ほほの耳下腺あたりが腫れているし、
なんだかおおごとになってきたような気がするので、
大学病院に着いて、耳鼻咽喉科へ。平日の午前中にもかかわらず、
30半ばくらいの男性の先生で、
のどの検査。直径5ミリほどのケーブ状のカメラを用いて、
採血。造影剤を入れる関係で、点滴の管みたいのを指されて、
いまだに採血は苦手で、
尿検査は普通のトイレでぱっと終える。
CTスキャン。なんかスゲー待たされた。
造影剤を入れると体が熱くなるとのことだったが、確かに、
以上の検査を終えて、耳鼻咽喉科へ。また30分ほど待って、
支払いはもろもろの検査料金を含め、保険効いて15,
この日は金曜日だったので、
また、熱は夜になるにつれて上がり、
高級時計について思うこと
最近、しょっちゅうこの手の腕時計論が上がってきますね。
私の考えとしては、腕時計なんて完全におしゃれ道具であり自己満なんだから、好きなものをつけろです。つけたくないやつはつけなくていいだろ。時間なんていくらでも確認できるので、腕時計は仕事道具には分類されないだろ。以上
ちなみに、私は腕時計が好きです。一応高級と分類されるであろう時計は保有しています。でも、それをしているからって営業が上手くいくわけでもないし、仕事ができるようにはなりません。
では、なぜ買ったか。なぜなら、その時計がかっこいいからです。
好きなものを身につけるとテンションあがりますよね。
それくらいの効果はありますが、それ以上でもそれ以下でもありません。
かっこいいから買ったので、他は何とも思っていません。
そのカッコよさに何十万円(または何百万円)を払うかどうかは完全にその人の価値観なので、他人が押し付けるのは良くありません。
100円の時計で満足できるのであれば、それでいいし、一方1000万円の時計で満足できないのであればさらに高みを目指せばいい。
その程度の話なので、おっさんはとりあえず、若者に高い時計を買えっていうんではなく、自分で納得いくものを買いなさいと言ってあげなさいよ。(本人が時計は不要って言ってるのであれば、それを認めてあげなさいよ。)
PS私の時計がマイナーすぎて、その時計無印って言われたことがあります。
選挙と昼寝
iPhoneの変換の歪さ
ワタクシ、携帯電話はかれこれ8年くらいiPhoneを利用しています。
絶対落ちちゃいけない試験で落ちた話
4月から新しく社会人になった皆さま、おめでとうございます。そろそろ朝起きることにも慣れてきて、通勤電車にも文句を言いながらも「これが社会人か…」といったよくわからない諦めというか社会人としての自覚(笑)が芽生えていることでしょうか。
私は新卒で証券会社に入りましたが、入社日初日のことをいまでもよく覚えています。曇った少し肌寒い日で、これから社会人生活に不安を覚えながら、オフィスに向かいました。
さて、証券会社では、入社前に証券外務員2種というものを受けさせられます。証券外務員2種とは、平たく言えば、株を売るときに必要となる資格です。
(※銀行員の方も投資信託を売るときには保有していないといけないので、銀行員もこの資格は持っていることが多いです。)
この証券外務員試験というのは、基本的には証券取引にかかる法律、規則や商品の仕組みを○×で回答して、7割以上で合格することになる。問題数は70問くらいあるので、主催している日証協が送ってくる「外務員必携」なぞ読まずに、過去問を2,3回繰り返せば合格するものである。このように運転免許レベルの試験なんだけど、たまに落ちるやつがいて、落ちると先輩とか上司から結構怒られる。同期でも落ちている人がちらほらいました。ちなみに、私は、ばっちり合格した。ええ。余裕でした。
しかしながら、その後、金融先物外務員資格なるものが必要となり、この試験でやらかしてしまう訳です。
この金融先物外務員試験っていうのは、FXとかそういった取引にかかる外務行為をする際に必要となる資格で、金融先物業協会というところが主催しています。この資格を取得する人が皆無なので、市販のテキストはなく、当協会が発行する過去問しかありませんでした。今は問題数が多くなっているみたいですが、確か当時は30問くらいしかなくて、それの7割で合格だった気がします。(つまり、一問の比重が高い。)会社の先輩やらコールセンターの方やら、みんな口をそろえて、「証券外務員より簡単で今まで誰も落ちたことないよ。余裕、余裕♪」と。とりあえず、先輩等からの情報から楽勝な試験として認識した私は、なんかよくわかんねぇけど余裕なんだし、過去問の答えだけ暗記しておこうと。過去問を1回だけやってGWを満喫しておりました。こんなに休みが幸せなんて。当時は、社会人1か月目ながら、休みに飢えていたんでしょう。というわけで、過去問を1回やっただけで、過去問の答えをなんとなく暗記して、同期全員でテストセンターに受けに行きました。
ちなみに、先物外務員試験は、その場の合否がわかる試験となっていました。つまり、テストセンターで問題を解いて、最後の「採点」ボタンを押した途端に、結果が画面に映し出される仕組みとなっています。
試験では規制における具体的な数字や割合の正誤問題が多く出て、なんとなくしかわらからに私は、これはやってしまったかもしれないと思いながら、正誤のクリックをしていきました。30問終えたところで正直、確実にあっている問題は4割くらいであとの6割は正直微妙でした。しかも5択とかあったので、期待値は明らかに7割を下回っていて、試験をしながら、ちんこがどんどん萎縮して、おしっこが漏れそうな気分になっていました。
で、いくらやってもわからないものはわからないので、意を決して「採点」ボタンを押しました。
ぱっと一瞬画面が白くなり、画面には三文字で「 不 合 各 」と表示されました。
終わった…。俺、終わった……。
死にたい・・・・。会社戻りたくない・・・・。
1分くらい何も考えられなかったです。社会人人生オワタ。
とりあえず、ここにいてもしょうがないので、扉を開けて試験会場を後にしました。
テストセンターの受付で試験結果を印刷した合否結果をもらうのですが、受付のお姉さん、明らかにめちゃくちゃ申し訳なさそうな、この残念な子なのねというような表情で紙を渡してきました。くっそみじめでした。
テストセンターを出て携帯を見ると、同期から「前の喫茶店でコーヒー飲んでから、一服してから会社戻ろうぜー」とメールが来ていました。
私以外にも試験に落ちた人がいて、一緒に怒られるフレンズいるんじゃないの?と一縷の望みをかけて、喫茶店に行きましたが、全員「合格」と書かれた紙を持っていました。
私が落ちたことを同期のみんなに言うと、「うそ…、この試験落ちる人いるの…」みたいな感じになり、慰められ、さらにみじめになりました。
その後、会社に戻った後、教育係の先輩だけでなく、取締役にまで怒られる始末で、マジで死にたくなりました。たぶん、本当に落ちたことあるのは私くらいで、歴史に名を残すレベルだったのではないでしょうか。
とまぁ、今となっては笑い話にできますが、当時はほんとつらかったです。出社する足取りもめちゃくちゃ重かったです。
その後も5年くらいその会社にいましたが、その失敗のせいで出世コースから転落させられる等といった不当な扱いありませんでした。銀行みたいな減点主義みたいな会社を除いては、一般的には会社は社員の良いところを見ると思います。証券会社は特にかもしれませんが。その後の仕事の頑張りでいくらでも取り返すことはできました。また、その後もいくつか資格試験を受けさせられましたが、一度も落ちていません。あの時の体験で、詰めが甘かった自分が変わったのだと思います。
ちなみに、その後の昇給についても、同期の中では良いほうでした。
というわけで、新入社員の皆さんもいろいろ失敗して死にたくなることはいっぱいあると思います。はじめは特に。些細なことで落ち込むかもしれません。でも、失敗したとしても落ち込んで終わりにしないでください。その失敗は、その後の仕事ぶりでいくらでも挽回することはできます。新人の失敗なんて正直大したことありません。だから、大丈夫。失敗したらなぜ失敗したかをよく考えてその後に生かして、それを挽回するためにほかのことで頑張ればいいだけです!
あと、つらかったらひたすら愚痴ればいいんです。私は、同期、友人、当時付き合ってた恋人(今の妻だけど)、キャバクラのおねーちゃん、ソープのおねーちゃんと会う人全員に愚痴っていました(完全に自分が悪いんだけど)。そしたら、意外と気分も晴れてきました。ちなみに、研修期間中は基本給料全部風俗に使っていました。最高でした。
というわけで、新入社員の皆さん、辛いこととかいろいろあると思うけで、お仕事頑張ってね!
それでは、フラワータイム!